Tenma channel

アセンションのためのブログ。活動は2008年から情報収集など。このブログの本体はtenma505.s1009.xrea.com/wp/にいます。

道祖神は、「道を示す」光のネットワーク シリウス文明がやって来る 

一般的に云われていますように、
道祖神とは、猿田毘古神(さるたひこのかみ)さんと、
天宇受売命(あめのうずめのみこと)さんのペアであり、
日本の記紀などの古文書においても伝えられていますように、
「道を示す」神であります。

日本列島の各都道府県には、
それこそ、「道を示す」かのように、
神社境内などに、身の丈ほどの、
道祖神の石が、ポツンと置かれてあったりします。

この道祖神が、私たちにとって、いかに、
「道を示す」ものであるかという所以についてですが、
これも以前に、江ノ島神社についての記事で書かれてありますが、
道祖神の前で目を閉じると、閃光があまりにも眩しいのです。

太陽の光で、眩しくて目を開けていられない
ということはよくあるかと想います。

しかし、目を閉じていて、フラッシュライトの点滅で、
眩しくて、目を閉じたままでいられないという表現は、
この道祖神を参拝したときによく分かります。

それは、いわゆる、太陽神として表に出ている
天照皇大神さんよりも起源の古い、
宇宙の根源に最も近い太陽神であることを表しています。

猿田毘古神さんは、宇宙の根源からの光を、
ダイレクトに照らしてくださいます。

それは、言い換えるのならば、この方を通して、
宇宙の根源と繋がることも可能であるということです。

猿田毘古神さんと天宇受売命さんは、
表裏一体のように、いつもペアで寄り添っています。

猿田毘古神さんも、決して、多くを語る方ではありませんが、
その口数少ない声に、魂を清廉に保ち、純粋に耳を傾けるのなら、

あなたの足元に光を照らす 前に進まれよ

と、私たちの行く手と方向性、人生の羅針盤を示されます。

現在、深い闇の中を進まれている方にとっても、
極めて心強い存在であることには違いないのです。

私たちの足元を照らす、その光が微かなものであろうとも、
必ず、行く先々に、道標を置かれるでしょう。

私の場合は、カラスの羽根であることが多くあります。
他の方々にはまた、違うサインかもしれません。

これが、後々に振り返ってみますと、もしくは、
高い位置から眺めてみますと、時間 / 空間を超えて、
まさに、光のネットワークのように、
道筋、道のりを張り巡らされていた、
ということに気づかされるでしょう。

例えば、私の住まいの近郊に、熊野神社がありますが、
突然に、どうしても、ここに参拝に行きたくなりました。

熊野神社は、熊野権現のネットワークですが、
この熊野権現の正体は、瀬織津姫さんのことであり、
以前にもお伝えしてありますように、
彼女はまた、シリウス星系列の超大物で
畏怖すべき女神ソティスさんのことです。

と、このように云っても、ほとんどの方々には、
何のことやら、さっぱりピンと来ないかもしれません。

それは、来るべき水瓶座の時代における、
真なる太陽信仰復活のために、“秘中の秘”ということで、
これまで、永らく隠されてきた存在です。

これがどれだけ、“秘中の秘”かと云えば、
瀬織津姫さんについて、かなり詳細に調査された、
『エミシの国の女神-早池峰-遠野郷の母神-瀬織津姫の物語』、
円空瀬織津姫 上・下巻 』 (いずれも菊池 展明著)
などの本にも、私が瀬織津姫さんに直接案内された
縄文遺跡に隠された聖地は、紹介されていないのです。

このことを確認するためには、
宇宙の根源にアクセスしなければ観えてきません。

ですから、各所に置かれてある熊野神社は、
表向き、御祭神が伊耶那美命(いざなみのみこと)さん
になっていることも多いかと想われます。

伊耶那美命さんは、シリウス系列で云うところの、
女神イシスさんにあたります。

古代エジプト文明で知られるところでも、
表向きはイシスさんの名前が多く観られますが、
ソティスさんの名前は、あまり聞かれなかったと想われます。

また、熊野神社では、霊的太陽の使者である
八咫烏(やたがらす)をシンボルにしているわけですが、
そのようなことで、早朝に参拝に行ってみますと、
賽銭箱の真下に、カラスの羽根が落ちていたわけです。

ここには、境内に入る前の鳥居の横に、
道祖神の石が置かれてありました。

しかしながら、猿田毘古神さんは、
あくまでも、行く道を光で照らし、指し示すだけであり、
私たちの手を、直接的に引っ張ることはありません。

猿田毘古神さんが、私たちの代わりに、
道を進んでくれるわけではなく、
道を歩いてゆくのは、私たち一人ひとりです。

神や誰かが、私たちの代わりに、
何かを果たしてくれるわけではないのです。

アセンションについても同様なことが云えます。

誰かが、私たちの代わりに、
私たちのアセンションを果たすことは出来ず、
善なる高次元のスピリチュアル・ガイドたちにおいては、
あくまでも、道先案内人としてヒントを与えるに過ぎないのです。

このことがとても重要なのであり、
すべては自己責任であります。

“その鼓動と周期を把握して生まれた意味は
生きてゆく意味など超えた場所にある”

榎本くるみ さんが唄う 『冒険彗星』 のPVです。

http://mihoh.seesaa.net/article/110327274.html