Tenma channel

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脱天理教→日月神示→よひとやむみな 脱宗教の第一歩 1986年 高2 愛 鳥頭宮 の太々神楽 後編

愛 鳥頭宮 扁額




愛 鳥頭宮 の太々神楽 後編
1986年の11月
この神社は鳥頭神社と言うのですが、古くは愛 鳥頭宮と称して愛と入れる珍しい神社だったのですけど。
群馬県にまだいたころは何度か不思議な経験をしました。
南北朝時代の延文3年(1351年)に編集された『神道集』の「児持山大明神の事」に登場する突東宮に比定される。児持山七社、あるいは吾妻七社明神の一つ。
それで前編の続きです。


太々神楽が終わって休憩が入り、獅子舞が始まります。
郷里の沼田市では獅子舞の風習がすっかりなくなっていましたから、よく観察していましたが、どうもお正月のイメージしかないのです。
○なえは「おー」とか言って喜んでみています。

早苗様 たまたまGFと同じ名前 創作ではないです



「(゚д゚) 杉の木になんかいるぞ ○なえ」と私が言った。
「なんかいるって何か見えるか?」
「私ははっきり見えるほうではないが、天狗のようなのがいる」
「天狗か?ここら辺は天狗を見たの話は多いからいるのかもね」
「んー、鳥みたいだぞ。鳥の人みたいのだ」
「(゚д゚)あー!真剣に言ってるようだな、それは烏天狗だ」

烏天狗



カラステング? 烏天狗というと、うる星やつらの鞍馬姫の僕(しもべ)みたいのか?」
「あたしに聞くな、あたしには見えないってば」
「かっこいいな、鳥の行者様のようだ」
「(゚д゚)やっぱりいるのか はあー」と○なえが言った。
「やっぱりって何?」
「この神社はあそこに丸いような岩があるだろ、そこに城があってここはその城の守りでこの神社があるから、そんな時代から烏天狗がいたとか親戚が言ってた」
「へえ」
と杉にいる烏をみてびっくりしていたら、獅子舞をやってる間は烏天狗が見下ろしてた。
「(゚д゚)」私達は放心状態になった。
「(゚д゚)」
「私は子供のころ、7歳か8歳かそれくらいまで、そういうのが見えていたのだけど、それから見えなくなったが、それからまた見えた。なんでだろう・・・ 多分さっきの祝詞の影響だ」
と、私はいった。

「・・『思うこと、皆つきねとて 麻の葉を、切りにきりても祓つるかな』か」

「それは、神人交流のための呪文だ。祝詞ではない」
「(゚д゚)ミチノリはやっぱり凄いな」
獅子舞が終わって烏天狗もいなくなったので、祭りも終わったのでそろそろ帰るぞという事になるが
「(゚д゚) 今日は凄いものみたな」と帰ることになる。
祭のあとの余韻のなか・・
矢倉駅から高崎行きの吾妻線に乗るともう夕方だった。
電車は暖房がきつめで暑かった。渋川で降りるまではまったく会話もなかった。
渋川駅で降りると、
「(゚д゚)あれ? なんで渋川で降りるんだっけ」と私が言った。
「バカ、あたしがデートするって言ってただろ」
「ああ、そうだった」
渋川の町は榛名山のシルエットがくっきりと黄昏のそらの中に映っていた。冬も近い。群馬はあっと言う間に冬になって、向こう半年は空が灰色になる日が多い。
「渋川と言ってもこれと言って何があるわけでもない町だけど、人目を気にすることなくいられるからな」と○なえが言った。
芸能人でもあるまいし、自意識過剰のバカなカップルのバカップルだとか思われるかもですが、沼田市というのは牢獄のようなところがあって、誰かの目の監視というのが靈的にある謎の町なので。

愛 鳥頭宮 で拾った石 後に御神体



脱宗教の第一歩 1986年
天理教徒だったので、親が4世代、私が5世代ですが私は中学生になると天理教はの教典自体は良いのだけど、どうも神がいるとは思えないので、脱宗教の第一歩で自宅の天理教の祭壇の宮のご神体を早苗様のアイデアで愛 鳥頭宮の境内の石ころに擦れ変えた丸い石は因みにこれです。1986年で17歳の時です。
愛 鳥頭宮の御祭神は倭健命(ヤマトタケル)ですから、倭の神様と名つけて一家で天理教徒をやめる、24歳までこの石が御神体でした。親は知らずに7年も石を拝んでいたことになります。
後々日月神示で同様な事が書かれていて、神の導きだったとしか思えないのですよね。
 御神体を丸い石にすり替えちゃってから、妙に不幸な事がなくなって高校の成績もよくなりましたし、人が不思議と集ういえになったり、一番良かったのは鬱みたいな心境がすっかり解消されたんですよね。
多分、それ前の御神体はただの空(カラ)だったというのが私の推測です
 
続く