1986年の11月
この神社は鳥頭神社と言うのですが、古くは愛 鳥頭宮と称して愛と入れる珍しい神社だったのですけど。
群馬県にまだいたころは何度か不思議な経験をしました。
それで前編の続きです。
太々神楽が終わって休憩が入り、獅子舞が始まります。
郷里の沼田市では獅子舞の風習がすっかりなくなっていましたから、よく観察していましたが、どうもお正月のイメージしかないのです。
○なえは「おー」とか言って喜んでみています。
「(゚д゚) 杉の木になんかいるぞ ○なえ」と私が言った。
「なんかいるって何か見えるか?」
「私ははっきり見えるほうではないが、天狗のようなのがいる」
「天狗か?ここら辺は天狗を見たの話は多いからいるのかもね」
「んー、鳥みたいだぞ。鳥の人みたいのだ」
「あたしに聞くな、あたしには見えないってば」
「かっこいいな、鳥の行者様のようだ」
「(゚д゚)やっぱりいるのか はあー」と○なえが言った。
「やっぱりって何?」
「この神社はあそこに丸いような岩があるだろ、そこに城があってここはその城の守りでこの神社があるから、そんな時代から烏天狗がいたとか親戚が言ってた」
「へえ」
と杉にいる烏をみてびっくりしていたら、獅子舞をやってる間は烏天狗が見下ろしてた。
「(゚д゚)」私達は放心状態になった。
「(゚д゚)」
「私は子供のころ、7歳か8歳かそれくらいまで、そういうのが見えていたのだけど、それから見えなくなったが、それからまた見えた。なんでだろう・・・ 多分さっきの祝詞の影響だ」
と、私はいった。
「・・『思うこと、皆つきねとて 麻の葉を、切りにきりても祓つるかな』か」
「それは、神人交流のための呪文だ。祝詞ではない」
「(゚д゚)ミチノリはやっぱり凄いな」
渋川駅で降りると、
「(゚д゚)あれ? なんで渋川で降りるんだっけ」と私が言った。
「バカ、あたしがデートするって言ってただろ」
「ああ、そうだった」
渋川の町は榛名山のシルエットがくっきりと黄昏のそらの中に映っていた。冬も近い。群馬はあっと言う間に冬になって、向こう半年は空が灰色になる日が多い。
「渋川と言ってもこれと言って何があるわけでもない町だけど、人目を気にすることなくいられるからな」と○なえが言った。
芸能人でもあるまいし、自意識過剰のバカなカップルのバカップルだとか思われるかもですが、沼田市というのは牢獄のようなところがあって、誰かの目の監視というのが靈的にある謎の町なので。
脱宗教の第一歩 1986年
後々日月神示で同様な事が書かれていて、神の導きだったとしか思えないのですよね。
続く