他人を見る判断基準は、
外見やその人の肩書きに頼る部分が大きいと思います。
その人の見てくれが良かったり、社会的にそれなりの地位にあり、
名声を得て、経済的にも成功している人であれば、なんとなく、
素晴らしい人なのではないかと思い込んでしまいます。
普段の生活の中では、
他人の本音の部分はなかなか見えてこないものです。
また、本音を悟られまいと、
必死で隠そうと理論武装することもあるでしょう。
私においてもそうですが、
物事を自分の都合の良いように受け取ってしまうことも多々あります。
それでも、自分の中の心の闇を暴かれてしまったら、
痛々しい思いをして打ちのめされてしまいます。
必死に自分を守ろうと、相手に対して自分自身を正当化しようとします。
逆に、開き直ってしまうこともあります。
それが、無駄なあがきであったとしても。
他人の中の心の闇を見せられてしまうこともまた辛いことです。
他人の中の心の闇を見せられるということは、
それは、自分の中にも、そのような闇を抱えているからということもありえます。
ですから、そのような相手を見て批判を加えておとしめるのではなく、
そのような相手であっても、許しの気持ちを持つことも大切です。
自分についても何か心当たりはないだろうかと、
自分を見つめるキッカケを与えてくれているのかもしれないからです。
他人は他人にあらず、
自分も他人も心の深い部分で繋がっているからです。
お互いが鏡となって、
お互いの中の闇を見せているのです。
この一見辛い作業が、お互いの中に潜む膿を吐き出し、
心や魂の浄化を促していきます。